生きてますのご挨拶

久しぶりに会った人から「生きてたの?」と言われて、これはやっぱりまずいかもーと反省した。ひょっとして心配してくださった方、ごめんなさい、生きてるし、本も読んでるし、仕事もしてます。

休み始めたきっかけは目の不調だった。視界が、言い表しにくいんだけれど、折りたたんだみたいに重なるということが3日くらいの間に何度かおきて、たいそう心配になっていろいろ検査してもらったりして、その間パソコンを見ないようにしていた。結果は、近視がひどいだけでとくにどこも悪くなかったんだけどね。原因がわからないまま症状は治まり、さっきまで(これを書こうとするまで)忘れていたのである。

現在は非常事態だ。なぜ非常事態かというと、めったに起こらないことが起きているからだ。前に、仕事をして渡したのに出版社が本を出さないんだよねーと愚痴ったことがある。定期預金だと思ってという慰めもいただいたが、その定期預金が各社いっせいに満期になった。なんでいっせいに? 陰謀か? てなわけで、ゲラが4つも集中したのである。本が出るわけで、出たらやがては印税も入ってくるわけで、いいことなんだろうが、なんでいっせいに? 陰謀か? と繰り返したくなるような事態に立ち至っている。アムネスティで忙しくなるだろうからと、ものすごく緩めの予定を立てていたのに、今年は「楽勝」のはずだったのに、いったいどうしてくれるのよ。

こんな状態でも本は読む、ペースは変わらない。これでやめられるようなら中毒とは言わないわけだ。
でも、読んだ本をぜんぶ書くだけの心の余裕はないので(2ヶ月だから60冊、ムリ)、いちばん最近読んだ本のことを書こう。

裁判員と「犯罪報道の犯罪」』 浅野健一昭和堂
 だいぶ前に「犯罪報道の犯罪」を読んで、共感していたのだが、この本は一部が重複している。最近の情勢を元に新しく書き足してある。浅野さんの主張はふたつ。
1.活字メディアが協力して自主的に人権侵害を防ぐために報道評議会を作れ
2.犯罪報道は加害者、被害者とも、原則匿名にせよ

新聞は(テレビ、週刊誌も)、容疑者が逮捕されたとたんに吊るし上げを始める。顔写真は出すわ、同僚の話は聞くわ、中学校時代の先生の話しは聞くわ、容疑者=犯人を前提に事件の背景を探るわ、あんたらは推定無罪という言葉を聞いたことはないのか。逮捕されたというだけで、仕事は首になるし、子どもは学校に言っていじめられるし、引越ししなくちゃならなかったり、はては家庭崩壊になる場合もある。
たとえあとで有罪が確定したとしても、浅野さんは、法で定められた刑罰以上の罰を与えるのでは法治国家ではない、メディアの仕事は罰を与えることだろうか、と言っている。

ジャーナリストは、一般人をいじめるんじゃなく、権力を監視して欲しいものだ。